上げ底 false bottom 2004 6 29
日々、努力し、向上の道を歩むことは、大切なことです。
しかし、「上げ底の人生」を生きてはいけない。
学者ならば、妻や夫、あるいは、子供がいない方が、研究が、はかどると考えるでしょう。
あるいは、優秀なサラリーマンならば、日頃の激務で疲れていて、休日は休みたい。
しかし、休日は、家族サービスをしなければならない。
「つらい。妻や子供がいなければ、体が休まるのに。
休日に、ゆっくり休めれば、明日から、もっと、いい仕事ができるのに」と考えるでしょう。
しかし、そのような「上げ底の人生」を生きてはいけない。
たとえ、高く(出世)なっても、それは、上げ底で、高くなっているにすぎない。
やがて、いつか、底が抜ける時が来る。
それは、自分を愛することには熱心でも、
他人を愛することには関心がなかったと言えるでしょう。
このような人が、最終的に、高くなるでしょうか。
こういう人は、自己愛に生きたと言えるでしょう。
そもそも、一番、偉い人とは、誰か。
最近、イエスキリストの映画が上映されたので、
イエスキリストの例で、考えてみましょう。
イエスキリストは、自分を愛していたか。
おそらく、自分を愛していなかったでしょう。
自分を犠牲にしても、他人を愛したでしょう。
あのユダヤの地で、1万人、10万人、それ以上の人を愛したでしょう。
偉い人とは、こういう人のことを言うのです。
「偉大さ」とは、愛した人の数で決まるのです。
自己愛に生きた人は、決して偉くないのです。
こういう人は、1人しか愛していないので、偉くないのです。
さて、普通の人は、
イエスキリストのように、多くの人を愛することは無理です。
まず、できるところから始める。
たとえ、仕事で疲れていたとしても、
妻や夫を愛する。
子供を愛する。
共同社会や地域社会を愛する。
日本にも、偉大な人がいました。
それは、内村鑑三という人です。
彼は、このように言いました。
「私は、日本のために、
日本は世界のために、
世界はイエスキリストのために」